〈夫婦〉という単位で、ともに生きる」
2021/04/19
戦後という言葉がまだ生きていた時代は、家族や〈家〉の論理がとても重視されていました。現在、それに代わるものは、〈個〉でしょうか。いま、結婚をしない人がずいぶんと増えている背景には、そのような価値観の変化も影響していると私は考えています。
家族をつくり、家族を守っていくことだけが人間の幸福ではない。一人ひとりが、それぞれの幸福を求めていく上で、結婚は選択肢のひとつに過ぎないという感覚、考え方も、もちろん分からないではありません。
でも一方で、あまりにも〈個〉が突出すると、〈孤〉を招くことにならないか。そんな恐れも抱きます。〈孤〉はとくに、老いてからより深刻になってくる感覚で、私自身、若い時期には、そのことへの恐れはさして感じるものではありませんでした。
結婚相談の現場にも、〈個〉の感覚は年々つよく及んできている実感があります。それぞれが〈個〉の単位で婚活に臨んでいる。自分の希望ばかり先に立つという感じかな。
結婚するということは、〈夫婦〉という単位で、ともに生きるということなのだと私は思っています。そのために、どちらかが我慢するというような話ではなく、自分という〈個〉も生かしながら、夫である人、妻である人の〈個〉も生きる。それが〈夫婦〉というものだろうと考えるのです。
この結婚によって、自分はどう生きるのだろう、ということと同時に、自分と結婚することで、お相手をどう生かすことができるのだろう。そういう目線をもって臨むことが、婚活には必要なのだろうと思います。それは、〈夫婦〉の単位で考えるということ。
いっしょに生き、いっしょに感じ、考えるから、〈孤〉からまぬがれることができる。ただ求め与えられるだけの関係では、仮に夫婦になったとはいえ、〈孤〉は近くにある。そうも思います。