結婚は、この世に新しい生命を送っていくためのいとなみである
2021/09/02
最近、人間の生死について、つくづくと考えてしまう事柄によく突き当たります。年齢のせいかなと思いますし、〈結婚〉というものが、じつは人間の生死にかかわることの多いいとなみであるからなのかなとも思います。たとえば、両親のいずれかが、余命を宣告されるような重篤な病を得た。早く結婚して、安心させてあげたい。そういう思いが結婚の動機づけとなる方も少なくありません。
人間の生死に深くかかわっているということでは、結婚は、この世に新しい生命を送っていくためのいとなみであるという側面をもっています。
もちろん、結婚にはさまざまな価値観があって、子どもを授かることを前提としない結婚もあることでしょうし、前提としていても、残念ながら授かることのかなわない場合もあります。しかしなお、大きな視点に立てば、結婚といういとなみが、人間の生命を次代へとつないでいく結節点となっていることは、いまも変わりません。
現代という時代は、それ(結婚)が自分の生命をつなぐ基点となるものだということへの何かしら〈畏れ〉のような感覚が薄いとも感じますし、一方で、到底自分は父になれない、母になれないと〈恐れ〉過ぎて結婚を忌避する人たちもまた多いようにも感じます。
私自身の感覚をいえば、私の人生では、結婚して得たものというより、子を得て学んだもの、成長したもの、幸福を感じたものがじつに多かったと思っています。その前段階にあったものは、もちろん〈結婚〉なのですけど。
子どもが在るということ。夫が在るということ。それは、私のいつか必ずくる〈死〉にも大きな意味をもっていると思っています。生きてきた甲斐のようなものを伝える、話せる人が側に在る限り、人間は孤独ではないと感じます。