優しくありたいけれどもただ優しくありたくもない 鉄しき と書いてやさしき
2021/10/18
つい先日のこと、入会の手続きに来社されたお父さんが私のことを、
「長井さんは優しいねえ」
としみじみおっしゃいました。
こういう仕事を始めて、もう数十年が経つわけですが、私のことを〈優しい〉と述べられた経験は、実はほんとうに数えるほど。
それを証明するかのように、そばにいたスタッフは、思わず笑い声を出してしまった。
もちろん、私はここで、優しい、と褒められたことを自慢するつもりはなくて、〈優しい〉ということだって、こんなふうに、見る人によって違う、ということがいいたかったわけです。
たとえば、〈優しさ〉を、情緒的な目線で見る人は少なくありません。
でも私はむしろ理性的に人を見る。
本質を見ないと間違ってしまう、と、心のどっかで思っているから、情緒的には見られません。
そしてそれが、スタッフを思わず笑わせた理由かな。
つまりそれは〈優しくある態度〉ではない(笑)。
〈優しい〉ということばが、よくあるようで、実は出にくい職場なのかもしれません。
そういえば昔、高村光太郎という詩人が、鉄しき、と書いて、やさしきとルビを振ったことを思い出しました。
優しくありたいけれども、ただ〈優しく〉ありたくもない、という少し難しい心境です。