“長続きする愛とはほどほどなもの”と、かのシェークスピアが語っている
2021/06/24
“ほどほどに愛しなさい。長続きする愛とはほどほどなもの”と、かのシェークスピアが語っているそうです(先日テレビを観ていてはじめて知りました・笑)。
「ほどほど」というのはとても曖昧。数値に置き換えにくい日本語ならではの表現なのでしょう。で、“愛”となると、もっと曖昧。でも“ほどほどの愛”といわれると、何となくこんな感じかなというのが伝わる。言葉ってほんとうに不思議です。
ところで私、シェークスピアが言っているからというわけでもないのですが(笑)、人と人が出会うとき、この“ほどほど”という感覚は、とてもたいせつなものだと思っています。
さほど強烈に惹かれるものなどなくていい。でも何かしら、もう一度会ってみてもいいかしらと感じさせる、魅力というほどでもない、小さな親しみが感じられれば、出会いの第一歩として充分かなと思うのです。
結局、男女の愛というのは、はじめからそこに大きなものとして存在するのではなく、長くつづくものは、長い時間をかけて培われてきたものに違いないと、きっと私が思っているからなのでしょう。
堅牢な建物と同じで、堅い愛も、たぶんちょっとずつ積み上げていくもの。
その出発点は、ほどほどでいい。というよりも、ほどほどである方が、落ち着いた心でお互いをじっくり見つめ合うことができる。
一瞬の夢のような激しい出会いを人はつい求め勝ちです。それを否定するつもりは毛頭ないのだけど、そこに気持ちを傾けすぎて、“ほどほど”をうっかり見逃している、そういうことはなかっただろうかと、ちょっと自分を振り返ってみてもいいのじゃないかな